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信寿院(しんじゅいん、生年不詳 - 寛永5年7月8日(1628年8月7日))は、徳川家康の側室。名は富子。父は山田氏とされるが、殆どの出自は不明である。 == 生涯 == 山田氏の娘で俗名は山田富子、法号が「信寿院」であること以外は殆どの詳細が不明である〔秋元茂陽『徳川将軍家墓碑総覧』(パレード、星雲社、2008年、p74)〕。 寛永5年7月8日(1628年8月7日)に没する。戒名は信寿院日富神尼。墓所は東京都大田区の池上本門寺にあり、墓碑銘には「東照權現逑遇」と記される。逑とは「つれあい、夫婦、配偶」などを意味する言葉である〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「信寿院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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