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信濃大町駅(しなのおおまちえき)は、長野県大町市大町仁科町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)大糸線の駅である。 大町市の市街地にある中心駅である。 == 歴史・概要 == 松本駅から連絡することで「東京と日本海とを連絡する」ことを目指して1916年(明治45年)3月3日に創立総会を開催した私鉄の信濃鉄道(現在のしなの鉄道とは無関係)が1916年(大正5年)7月5日に松本駅に隣接する松本市駅までを結ぶ形で開業したのが始まりである〔松本市史編さん室 『松本市史 第二巻歴史編Ⅲ近代』 松本市、1995年11月30日。〕。 この鉄道建設に当たっては大町役場が高瀬橋東詰から大町駅までの線路用地全てと15,000円を寄付するなどの支援を行った〔。 開業前は大町から松本まで一泊二日必要とされていたことから、この開通は当地に大きな変化をもたらすことになった〔。 しかし、当駅より先は地形などの関係で敷設が困難であることから延伸が進まない状況が続いていたところに、軍事上の必要性などから国が当駅から糸魚川駅を結ぶ路線を建設することになり、1929年(昭和4年)9月25日に大糸南線として当駅 - 簗場駅間が開通することになった〔。 (大糸線の線名の由来は、両端の駅一文字ずつを採ったものである) 信濃鉄道は、1926年(大正15年)1月8日 に全線電化して旅客列車を電車化したが〔、1937年(昭和12年)6月1日に国有化された〔。 1957年(昭和32年)8月15日に中土駅 - 小滝駅間が開通して全線開通し、大糸線と改称した〔。 1959年(昭和34年)7月17日には当駅 - 信濃四ッ谷駅(現・白馬駅)間を電化し〔諸河久 松本典久 『JRローカル線』 保育社、1994年。ISBN 978-4586508587〕、1960年(昭和35年)9月には松本駅 - 当駅間の貨物列車も電化した〔大町市史編纂委員会 『大町市史 第五巻 民俗・観光』 大町市、1984年7月1日。〕。 黒部トンネル開通翌日の1971年(昭和46年)4月26日に特急「あずさ」の乗入れを開始し、立山黒部アルペンルートが当駅を起点として1971年(昭和46年)6月1日に開通した〔『交通年鑑 昭和47年版』 交通協力会、1972年3月20日。〕。 1966年(昭和41年)4月に名古屋発の急行「つがいけ」が季節列車として乗入れを開始し〔、1982年(昭和57年)11月15日のダイヤ改正で急行「つがいけ」が特急列車化されて特急「しなの」に統合された〔『交通年鑑 昭和58年版』 交通協力会、1982年3月。〕。 しかし、高齢化の進展などの影響も受けて利用者が減少したことから、2010年(平成22年)3月13日に当駅始発の特急「あずさ」は廃止となった〔“利用減 ダイヤ改正で廃止 大糸線あずさ6号に花束”. 大糸タイムス (大糸タイムス社). (2010年3月13日)〕。 この廃止の年には、JRの「信州デスティネーションキャンペーン」に向けて駅舎を山小屋風に改装し、同年7月22日に式典を行って新装開業した〔“「山小屋風」でDC歓迎 信濃大町駅改装完成祝う”. 大糸タイムス (大糸タイムス社). (2010年7月23日)〕。 2014年(平成26年)11月22日に発生した長野県神城断層地震により、白馬大池駅 - 千国駅間の線路沿いのがけ崩れに伴う土砂の流入や簗場駅 - 南神城駅間での路盤の液状化などの被害が出たため、当駅 - 糸魚川駅間は23日まで運休した〔“41人けが、全壊34棟 長野北部地震、余震70回に”. 中日新聞 (中日新聞社). (2014年11月24日)〕。 このうち24日に平岩駅 - 糸魚川駅間が本数を減らして運行を再開し、25日には当駅 - 白馬駅間の運転を再開〔“長靴姿で登校、大糸線が一部再開 県神城断層地震”. 中日新聞 (中日新聞社). (2014年11月26日)〕。 同年12月7日に白馬駅 - 南小谷駅間の運転を再開を再開して大糸線の全線が復旧した〔“JR大糸線、全線復旧 15日ぶり、高校生ら歓迎” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2014年12月8日)〕。 特急列車を含む全列車が停車するほか、普通列車のほとんどが当駅を始終着としている。当駅から北(南小谷方)ではほとんどの列車がワンマン運転となり、夜間滞泊もある大糸線の要衝となる駅である。大糸線内では起点の松本駅に次いで利用者数が多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「信濃大町駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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