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信濃長谷寺 : ウィキペディア日本語版
長谷寺 (長野市)[はせでら]

長谷寺(はせでら)は、長野県長野市篠ノ井塩崎にある真言宗智山派寺院山号は金峯山。院号は龍福院。通称、信濃長谷寺長谷観音とも呼ばれる。本尊十一面観世音菩薩
日本各地に数多くある長谷寺の中でも、日本三所(日本三長谷)と呼ばれる大和鎌倉信濃三大長谷寺のひとつである。
== 歴史 ==
寺伝では、舒明天皇の時代(629年-641年)に允恭天皇の六代目の子孫である白助が、信濃善光寺阿弥陀如来のお告げにより、大和初瀬山より十一面観音菩薩を勧請し建立したのが起源とする。
大和初瀬の長谷寺(奈良県桜井市)は、朱鳥元年(686年)、川原寺の道明が元長谷寺を創建したのが始まりで、神亀4年(727年)に徳道が十一面観音像を造立し、現在の長谷寺を開山したと伝えられている。大和の長谷寺は、奈良時代から存在した寺院であることは確かだが、上記の草創説話はあくまでも伝承である。したがって、大和長谷寺から十一面観音像を勧請したとする信濃長谷寺の起源についても、どこまで史実を反映したものかは定かでない。
寺の裏山からは仁平元年(1151年)銘の金銅経筒が発掘されており、この年、大師の某氏が妙法蓮華経無量寿経を長谷山に埋経したことがわかる。
* 1181年養和元年) 『延喜式』で鎮守の長谷神社が式内社となる。
:この頃、覚明(元は源義仲軍師法然門下。親鸞に同行)が長谷寺付近に康楽寺を建立。
* 1290年正応3年) 久明親王の霊夢により、執権北条貞時が僧真海をして長谷寺を再興させる。
* 1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年) 天竜寺文書に長谷寺の免田が記載。
:この頃、『三国伝記』が編纂され、白助伝説が収録される。
* 1400年応永7年) 大塔合戦により長谷寺周辺で戦乱。
* 1701年元禄14年) 子安堂を建立。
* 1713年正徳3年) 観音堂を再建。
* 1776年安永5年) 仁王門を建立。
* 1802年享和2年) 鐘楼門を建立。
* 1805年文化2年) 十王堂を建立。善光寺地震にて石垣が崩壊。
* 1847年弘化4年) 善光寺大地震伽藍が損壊。
* 1863年文久3年) 庫裏を建立。
* 1866年慶応2年) 開基殿を建立。
* 昭和期 伽藍を修復、経筒が出土。
* 平成期 観音堂・本堂・庫裏を改修、納経所を建立。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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