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信越本線熊ノ平駅列車脱線事故 : ウィキペディア日本語版 | 信越本線熊ノ平駅列車脱線事故[しんえつほんせんくまのだいらえきれっしゃだっせんじこ]
信越本線熊ノ平駅列車脱線事故(しんえつほんせんくまのだいらえきれっしゃだっせんじこ)は、1918年(大正7年)3月7日に鉄道院信越本線の熊ノ平駅(群馬県碓氷郡松井田町、現在の安中市)構内で発生した列車脱線事故である。 車両不具合により本線上に停車中であった貨物列車が碓氷峠の66.7‰の急勾配を逆走し、熊ノ平駅の側線に突入後脱線大破したもので、列車乗務員および熊ノ平駅駅員の2名が即死、重傷を負った乗務員2名がのちに死亡、他の乗務員4名も重軽傷を負う惨事となった。 == 碓氷峠の概要 ==
信越本線の横川 - 軽井沢間は碓氷峠を越えるため最急勾配66.7‰の区間が存在する山岳区間であり、勾配対策として通常の鉄道路線における粘着式(車輪踏面と軌条との間に生じる粘着力のみに依存する方式)ではなく、アプト式ラックレール(歯軌条)を使用したラック式鉄道路線として開業した。ラックレール区間を走行する機関車には軌条用車輪のほか、ラックレールと噛み合う歯車を備えた専用車両が用意され、1912年(明治45年)の同区間電化完成と同時に導入された10000形電気機関車はラック式歯車のほか、下り急勾配区間の走行対策として抑速発電ブレーキを装備した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「信越本線熊ノ平駅列車脱線事故」の詳細全文を読む
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