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信頼できない語り手[しんらいできないかたりて]
信頼できない語り手(しんらいできないかたりて、信用できない語り手、)は、小説や映画などで物語を進める手法の一つで、語り手(ナレーター、語り部)の信頼性を著しく低いものにすることにより、読者や観客を惑わせたりミスリードしたりするものである。 == 概要 == この用語はアメリカの文芸評論家ウェイン・ブース(Wayne C. Booth)の1961年の著書『フィクションの修辞学』〔ウェイン・C. ブース(1961年)『フィクションの修辞学』米本弘一ほか訳(1991年)、書肆風の薔薇 ISBN 4891762470 ()〕()の中で初めて紹介され、語り手に関する議論において「一人称の語り手は信頼できない語り手である」との論が張られた。 信頼できない語り手の現れる語りは、普通一人称小説(ジュネットの言う「等質物語世界的」)であるが、三人称小説(同じく「異質物語世界的」)の語り手も信頼できない語り手となることがある。読者が語り手を信頼できなくなる理由は、語り手の心の不安定さや精神疾患、強い偏見、自己欺瞞、記憶のあいまいさ、知識の欠如、出来事の全てを知り得ない限られた視点、その他語り手が観客や読者を騙そうとする企みや、劇中劇、妄想、夢などで複雑に入り組んだ視点になっているなどがある。 語り手の信頼度には、『白鯨』の信頼の置けそうなイシュメールから、ウィリアム・フォークナーの『響きと怒り』における複数の語り手たち、ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』におけるハンバート教授まで大きな幅があるが、全ての語り手は一人称小説であれ三人称小説であれ、知識や知覚の限界があることから信頼できないともいえる。 語り手の陥っている状態は、物語の開始と同時にすぐ明らかになることもある。例えば、語り手の話す内容が最初から誤っていることが読者にも分かるようになっていたり、錯覚や精神病などである。この手法は物語をよりドラマチックにするため、劇中で明かされることが多いが、語り手の信頼できるか否かが最後まで明らかにされず、謎が残されたままの場合もある。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「信頼できない語り手」の詳細全文を読む
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