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倉吉藩(くらよしはん)は、江戸時代初期の短期間、伯耆国久米郡倉吉(現在の鳥取県倉吉市)に存在した藩。1614年、安房国館山藩主であった里見忠義が名目上3万石で移封されたが、実際には流罪同然の扱いであった。1622年、忠義の死とともに廃藩となった。 == 藩史 == === 前史 === 倉吉の地には南北朝時代に打吹城(倉吉城)が築かれ、室町時代には伯耆国守護所とされた。1600年、中村一忠が米子藩に移されると倉吉もその所領となり、打吹城には重臣の中村栄忠が入ったが、慶長14年(1609年)に中村氏が改易されると、以後は天領となっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「倉吉藩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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