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倉墻 麻呂(くらかき の まろ、生没年不詳)は、日本の飛鳥時代の人物である。姓は直。 672年の壬申の乱のとき大海人皇子(天武天皇)側につき、河内から倭(大和)に来る敵を防いで連戦したが、およばず退いた。 == 出自 == 倉墻氏(倉墻直)は東倭氏族に属する渡来系氏族。麻呂を倉墻玉足の子とし、麻呂の子に椋垣子人(子首)がいたとする系図がある〔鈴木真年『百家系図稿』巻9,東倭直(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年 による)〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「倉墻麻呂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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