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候文(そうろうぶん)は、日本語のうち、中世から近代にかけて用いられた文語の文体の一つである。文末に丁寧の助動詞「候」(そうろう、そろ、歴史的仮名遣いではサウラフ)を置く。 == 歴史 == 「候」(古くはサモラフ、サブラフなど)は、元来、貴人の傍に仕える意の動詞であったが(「さむらい」もこれに由来)、平安時代に「居り」の謙譲語、さらに丁寧を表す助動詞に転じた。平安末期には現代語の「ですます体」のように口語で盛んに用いられたらしい(『平家物語』の語りの部分に多くの用例がある)。 鎌倉時代には文章としても書簡などに用いられ、文語文体として確立した。室町時代には謡曲(能)の語りの文体としても用いられた。この頃には、口語としては廃れたらしい(ただし「です」は「にて候」に由来するとされる)。 しかし、文語としてはさらに普及し、江戸時代には、公文書・実用文などのほとんどをこの文体が占めた。 文書の種類 # 幕政関係・藩政関係の公的文書 # 農村・漁村・都市関係文書 # 産業・交通・商業・貿易関係文書 以上のような、ほとんどあらゆる分野にわたって、下達・上申・互通〔浅井潤子編『暮らしの中の古文書』吉川弘文館〕の関係にある文書が、「候文」の形で存在する〔荒井英次編『近世の古文書』小宮山書店、昭和44年〕。 江戸期の「候文」の特徴は、使われる文字と文体である。何らかの目的を持って、相手に自分の意志を伝えるために書かれたものが多い(たとえば書簡の文など)〔候文を使用した書簡の例として例えば『芭蕉書簡集』萩原恭男 校注、岩波書店(岩波文庫)1976年がある。〕。使われる文字は、漢字の行草書・異体字・変体仮名・行草書の漢文の助辞・ひらがな・カタカナ・合字など(「くずし字」参照)。 さらに、明治時代のみならず、昭和初期においても、一部の私的な書簡〔野村泰治『作法・文範・現代作文大辞典』金竜堂書店、1934年(昭和9年)、2頁,ここで著者は、書簡文は、候文でも、口語体でもいずれも差し支えないと述べて、多くの候文の文例を記載している。〕や外交文書〔社団法人・同盟通信社『時事年鑑・昭和14年版』1938年(昭和13年),189~190頁,これらの頁には、「ロンドン海軍条約による主力艦及巡洋艦の建艦制限の遵守の保障に関する英国大使・対日通告文」および、それに対する「帝国政府・回答文」がいずれも「候文」で書かれている。〕などに用いられた。講談社「吉川英治全集」の「書簡集」の巻(1984年)によれば、収録されている書簡で候文のものは1954年(昭和29年)が最後である(吉川はこの頃皇居に招かれているがその件での入江相政への礼状は口語体である)。 なお、信書にも候文が使われていたため、現在でも企業等において「致し度」や「為念」などの候文由来の文体が使われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「候文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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