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倭国大乱(わこくたいらん)は、弥生時代後期の2世紀後半に倭国で起こったとされる争乱。中国の複数の史書に記述が見られる。倭国の地域は特定されていないが、列島規模であったとする見方もあり、日本史上初の大規模な戦争(内戦)だとする意見もある。 == 概要 == 女王国ではもともと男子を王としていたが70~80年を経て倭国が相争う状況となった。争乱は長く続いたが、邪馬台国の一人の女子を王とすることで国中が服した。名を卑弥呼という。以上の内容が、中国の歴史書『三国志』(魏志倭人伝)や中国の正史『後漢書』「東夷伝」に記述されている。 ;『三国志』魏書 卷30 東夷伝 倭人(魏志倭人伝) :「其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子爲王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿」 :其の国もまた元々男子を王として70 - 80年を経ていた。倭国は乱れ、何年も攻め合った。そこで、一人の女子を共に王に立てた。名は卑弥呼という。鬼道を用いてよく衆を惑わした。成人となっていたが、夫は無かった。 ;『後漢書』卷85 東夷列傳第75 :「桓 靈閒 倭國大亂 更相攻伐 歴年無主 有一女子 名曰卑彌呼 年長不嫁 事鬼神道 能以妖惑衆 於是共立爲王」 :桓帝・霊帝の治世の間(146年 - 189年)、倭国は大いに乱れ、さらに互いに攻め合い、何年も主がいなかった。卑弥呼という名の一人の女子が有り、年長だが嫁いでいなかった。鬼神道を用いてよく衆を妖しく惑わした。ここに於いて共に王に立てた。 ;『梁書』卷54 列傳第48 諸夷傳 東夷条 倭 :「漢靈帝光和中 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子卑彌呼爲王 彌呼無夫壻 挾鬼道 能惑衆」 :後漢の霊帝の光和年間(178年 - 184年)倭国は乱れ、何年も攻め合った。そこで、卑弥呼という一人の女子を共に王に立てた。(卑)弥呼には夫が無く、鬼道を用いてよく衆を惑わした。 ;『隋書』卷81 列傳第46 東夷傳 俀國 :「桓靈之間其國大亂 遞相攻伐 歴年無主 有女子 名卑彌呼 能以鬼道惑衆 於是國人共立爲王」 :桓帝・霊帝の間はその国(倭国)が大いに乱れ、互いに攻め合い、何年も主がいなかった。卑弥呼という名の女子がおり、鬼道を用いてよく衆を惑わした。ここに於いて国人は共に王に立てた。 ;『北史』卷94 列傳第82 倭國 :「靈帝光和中 其國亂 遞相攻伐 歴年無主 有女子 名卑彌呼 能以鬼道惑衆 國人共立為王 無夫」 :霊帝の光和年間、その国(倭国)は乱れ、互いに攻め合い、何年も主がいなかった。卑弥呼という名の女子がおり、鬼道を用いてよく衆を惑わした。国人は共に王に立てた。(卑弥呼に)夫は無かった。 五書とも、争乱の時期を2世紀後半としている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「倭国大乱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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