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倭漢書県[やまとのあやのふみ の あがた] 倭漢書 県(やまとのあやのふみ の あがた、生没年不詳)は、飛鳥時代の人物。氏は倭漢あるいは書とも記される。姓は直。倭漢久爾の子とする系図がある〔鈴木真年『百家系図稿』漢10,倭漢氏 弟腹〕。 == 経歴 == 舒明天皇11年(639年)百済川の辺(現在の奈良県北葛城郡広陵町百済)に百済宮と百済大寺を建てた際、大匠(建築技師の責任者)を務める〔『日本書紀』舒明天皇11年7月条〕。皇極天皇元年(642年)舒明天皇の崩御に際して、百済国から来日した弔問使のもとへ阿曇山背比羅夫・草壁磐金とともに百済国の様子を訪ねるために遣わされ、義慈王即位後の百済の政変に関する情報を入手した〔『日本書紀』皇極天皇元年2月2日条〕。 白雉元年(650年)遣唐使で利用するための百済船の造船を行うため、白髪部鐙・難波胡床とともに安芸国へ派遣されている〔『日本書紀』白雉元年条〕。
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