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元 容徳(ウォン・ヨンドク、元容德、)は大韓民国の軍人。本貫は原州元氏()。満州国軍出身者では最高位の中校(中佐)であった。李承晩大統領に忠実で釜山政治波動などの政治的事件に関わった政治軍人として知られている。 == 経歴 == セブランス医科専門学校卒業。満州国軍に入隊し、軍医として服務。 1945年12月、軍事英語学校補佐官。1946年2月7日付で軍事英語学校を卒業して、任少佐(軍番10041番)、南朝鮮国防警備隊総司令官。 1946年9月、警備士官学校校長。1946年12月7日、第8連隊長。1947年12月1日、第2旅団長。1949年1月15日、第5旅団長。同年8月、陸軍本部行政参謀副長。 1950年4月、護国軍参謀副長。同年7月、西海岸地区戦闘司令部(司令官:申泰英少将)副司令官。1952年4月、第2軍団(軍団長:白善燁中将)副軍団長。同年5月、嶺南地区戒厳司令官。1953年、憲兵司令官。同年6月、李承晩の指示に従って反共捕虜を釈放した。 1960年、四月革命が起きると1954年に起きた不穏文書投入事件と金聖柱殺害事件の首謀者として拘束され、翌年9月に懲役15年の判決を下された。1963年、恩赦。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「元容徳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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