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元鍛冶丁公園(もとかじちょうこうえん)は、仙台市都心部の歓楽街「国分町」にある都市公園。 2009年(平成21年)4月1日、「元鍛冶町公園」から現称に漢字表記が変更された〔仙台市公告第174号 (仙台市 2009年3月31日)〕。旧称の字面から「もとかじまちこうえん」と呼ぶ人もいる。また、「元鍛冶公園」や「国分町公園」と呼ぶ市民も見られる〔にすいの「冶」ではなく、さんずいの「治」を使用した「元鍛治丁公園」「元鍛治町公園」「元鍛治公園」などの誤字は多数みられる。〕。 == 概要 == 当園の地には1952年(昭和27年)設置の行政管理庁仙台管区監察局(のちに東北管区行政監察局に改称)〔1952年(昭和27年)8月1日「行政管理庁仙台管区監察局」設置。1960年(昭和35年)5月20日「行政管理庁東北管区行政監察局」に改称。1984年(昭和59年)7月1日「総務庁東北管区行政監察局」に改組。2000年(平成12年)1月6日「総務省東北管区行政評価局」に改組。〕があった。当時は同局と道を挟んで向かい側にカゴメの仙台出張所があるなど、周囲は業務・商業地区であった。 1965年(昭和40年)に仙台市東部に卸町ができると、流通業者を中心とした会社や事業所が市内各所から卸町に移転した〔第7回 東北一の歓楽街・国分町 ―街のネオンと夜の愉しみ― (経済産業省東北経済産業局 『東北21「せんだい遊歩 -変わる消費と集客のからくり-(7)」』)〕。国分町通では移転した会社の跡地に飲食店ビルが建ち始め、1970年代に入るとそれが加速して歓楽街化した〔。 1972年(昭和47年)〔(財務省東北財務局)〕に本町(勾当台)に建設された仙台第二合同庁舎に東北管区行政監察局が移転すると、跡地に当園が整備された。園内にはブランコなどの遊具が設置され、地面は土のままという児童公園に似たつくりであったが、拡大する東北地方最大の歓楽街「国分町」に当園の周囲も呑み込まれていき、飲み屋やディスコが入る飲食店ビルなどに囲まれた公園となってしまった。すると、園内には国分町の飲食店の従業員や来街客の放置自転車が目立つようになり、当園入口脇に駐輪場が設置されても改善されなかった。それでも、1978年(昭和53年)に当園の西隣に仙台中央警察署・国分町交番が設置された〔「写真帖 追憶の仙台」(無名舎出版 2014年6月10日発行 ISBN 978-4-89544-579-5) P.40 … 東一番丁の三越仙台店(現・仙台三越)の南側、錦章堂(参照)の隣にあった東一番丁派出所が、東一番丁の拡幅工事に伴って1954年(昭和29年)に仙台市立病院(当時、現・仙台第一生命タワービルディング)の南西角地に移転。その後、1978年(昭和53年)に国分町派出所(現・国分町交番)として元鍛冶町公園(現・元鍛冶丁公園)の隣に移転した。〕ため、深夜でも園内の治安は守られた。 1997年(平成9年)に地元から「国分町まちづくりプラン」が提案され、当園の再整備と駐輪場の建設が要望された〔2007年12月12日 都市整備建設委員会 20:◯建設局長 (仙台市議会)〕。2007年(平成19年)度より国分町通において水道管・ガス管の更新工事、共同溝新設、および、道路改良工事(コミュニティ道路化)がなされ〔まちみちニュース (仙台市)〕、2008年(平成20年)からは当園の再整備と駐輪場の新設が行われた。同年12月6日に、先行して「元鍛冶町公園地下駐輪場」(収容台数1008台)が当園の西部分に開設され、2010年(平成22年)5月29日に当園もリニューアルオープンした〔元鍛冶丁公園 リニューアル (asahi.com)〕。この再整備により、園内の地面は透水性コンクリート舗装となり〔(仙台市)〕、野外ステージも設置された。 当園は「元鍛冶丁通り」に面するが、当園を記載する場合は「丁」ではなく「町」を用いて「元鍛冶町公園」と書いていた(詳細は元鍛冶丁を参照)。しかし、2009年(平成21年)4月1日から現称に変更され〔、駐輪場の名称も「元鍛冶丁公園駐輪場」に変更された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「元鍛冶丁公園」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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