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先収会社 : ウィキペディア日本語版
先収会社[せんしゅうがいしゃ]
先収会社(せんしゅうがいしゃ)は明治7年(1874年)3月、野に下った井上馨益田孝らによって設立された商社政商。明治9年(1876年)に解散したが、益田らの人員と事業は三井組によって引き継がれ三井物産会社となった〔岩崎1987、432頁。〕。現在の三井グループも先収会社が旧三井物産の前身としている。
==概要==
明治6年(1873年)、長州藩出身の明治の元勲の1人で、大蔵省次官の大蔵大輔井上馨は財政縮減をめぐって司法卿江藤新平らと対立し、同年5月に政府を去る。この際、井上に才覚を認められて大蔵省の幹部になっていた益田孝も井上と共に官職を辞した。2人は関係の深いの商人岡田平蔵らと共に鉱山事業を主とし内外交易も行う会社として岡田組を翌明治7年1月に設立したが、設立間もなく岡田は急死、井上と益田らは鉱山事業と岡田の出資分を岡田家に返し、残った商社機能をもって3月に先収会社を発足させる。
先収会社は米の売買および毛布・ラシャ・銃などを輸入し陸軍へ納入するほか紙・蝋・茶・銅などを扱い、東京本店と大阪支店を事業の中心にし、横浜や神戸などにも店を出していた。政府を辞したとはいえ、長州閥のコネクションを持つ井上の政治力によって先収会社は多大な利益を得るが、井上の政界復帰に伴い明治9年に先収会社は解散する事になった。
およそ2年ほどの活動期間であったが、益田の才覚に大隈重信と三井組番頭三野村利左衛門が目を付け、益田らに先収会社の組織・社員ごと三井内の商社を作るように働きかけ7月に三井物産が開業する。この先収会社の益田らを基に発足した三井物産は三井組内の商事組織である三井組国産方と11月に合併し、やがて大財閥三井財閥の中核企業となっていくのである。益田はこの経緯で三井物産初代社長になり、後に三井財閥の中心人物となった〔〔〔木山2013、103-115頁。〕〔田村1968、32-49頁。〕〔三井1980、217-254頁。〕。
この旧三井物産は昭和22年(1947年)に財閥解体の一環として解散するが、その後現在の三井物産株式会社として復活する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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