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光州広域市(クァンジュこういきし)は大韓民国の広域市。 朝鮮半島の南西部、全羅南道に八方を囲まれる形で位置しており、過去には全羅南道の道庁所在地だったことがある。人口は約147万人である。 光州広域市は経済・行政・文化の中心都市として、光州・全羅地域を管轄する官公署と多くの企業の本部と支社などが置かれている湖南地方の中心の役目をしている。 昔から光の町、光の都市と呼ばれる。 光州学生事件、光州事件に象徴される「民主と人権を象徴する都市」として知られる。 京畿道にも同音の地名が存在するが漢字表記では広州市であり、混同に注意。 ==歴史== 百済時代には武珍、統一新羅時代には全国九州の一つである武州と呼ばれ、高麗時代以降光州となった。 日本統治時代の1931年に光州面が光州邑に昇格、さらに1935年に光州府に昇格した。独立後の1949年に光州市と改称され、1986年に光州直轄市として全羅南道から分離。1989年に全羅南道の松汀市と光山郡を合併して1991年に地方自治制実施、1995年光州広域市に改称した。 1914年に首都京城とを結ぶ鉄道(湖南線)が敷設されたことに伴い綿織物生産、精米施設、醸造施設などの近代的な産業が勃興した。1967年には工業地区に指定され、特に自動車工業が発達した。ただし現時点では、地理的な条件等もあって他の広域市と比較するとやや立ち遅れている感は否めない。 なお1929年には日本の支配に抵抗する光州学生独立運動、1980年には軍事独裁政権に抵抗する光州事件が起こり、韓国史の舞台となった。前述の事象や金大中のお膝元である事からも分かるとおり韓国の中では比較的左派、進歩的な政治風土を持つとされている。 2012年6月20日には光州広域市と韓米公共政策委員会がニューヨークのアイゼンハワー記念公園に日本軍慰安婦の碑を設置した。〔일본군 위안부 기림비 미국 땅에 2번째 둥지 ハンギョレ 2012.06.21〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「光州広域市」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Gwangju 」があります。 スポンサード リンク
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