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兒玉 久子(こだま ひさこ、天保13年(1842年) - 昭和12年(1937年))は、幕末から昭和にかけての人物。父は長州藩の支藩徳山藩の中級武士(100石)児玉半九郎。弟は明治時代の軍人・児玉源太郎、夫は徳山七士の一人・兒玉次郎彦。 元治元年(1864年)に夫が凶刃に倒れた後(児玉家は一時断絶、後に再興)、子弟の教育と仏道に帰依して報謝の生活を送る。昭和3年(1928年)、八十六節婦として緑綬褒章を受章。これを記念して「兒玉久子褒章記念碑」が周南市の児玉神社内に建てられた。昭和12年(1937年)に死去。享年95。 墓所は、興元寺の墓地である通称・隠居山墓地の一角の児玉家墓所にある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「兒玉久子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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