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児玉就秋[こだま なりあき]
児玉 就秋(こだま なりあき、生没年不詳)は、戦国時代の武将。毛利氏家臣で、安芸児玉氏の一族。父は児玉弘家(広家)、兄に元実、元為、元保、就近。後に次兄元為の養子となった。通称は弥七郎・木工丞。官途は若狭守。 天文4年(1535年)の三吉氏攻撃に出陣、天文9年(1540年)の平賀興貞との戦いにも参加した。また、武勇だけの人間ではなく、毛利元就の側近として政務を担当した。その後は吉川氏に養子に入った吉川元春と毛利元就の連絡・調整役を務め、毛利氏と吉川氏の連携を図った。 天文24年(1555年)の厳島の戦いの後、弘治2年(1556年)の防長経略では吉川軍の指揮下に入り、大内領北部の石見の制圧に参加。大内方の有力豪族である益田藤兼を降伏させた。石見攻略後は石見に所領を得た。その後も吉川氏指揮下の武将として伯耆等で活躍した。 没年不詳。 == 関連項目 ==
* 児玉党
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「児玉就秋」の詳細全文を読む
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