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児玉就英[こだま なりひで] 児玉 就英(こだま なりひで、天文13年(1544年) - 慶長元年6月11日(1596年7月6日)〔『島根県史』第8巻〕)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣。安芸国児玉氏の一族。父は児玉就方。弟には児玉景栄がいる。父の死後、草津城主となった。 == 経歴 == 永禄12年(1569年)、尼子勝久・山中幸盛らが率いる尼子再興軍が出雲国に乱入すると、出雲へと出陣。日本海方面で毛利水軍の主力として戦った。 また天正4年(1576年)の第一次木津川口の戦いにも、乃美宗勝、井上春忠、村上吉充、香川広景らとともに主力を率いて出陣。焙烙玉を駆使して、九鬼嘉隆率いる織田水軍を撃滅。石山本願寺に兵糧を運び込むことに成功した。 天正6年(1578年)に淡路国岩屋城に入って、淡路国周辺の瀬戸内海の守備を担当した。1586年に父の就方が死去すると、草津城主となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「児玉就英」の詳細全文を読む
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