|
児玉英水(こだま ひでみ、1914年-1945年)は日本の舞台プロデューサー。宮崎県西都市出身。 ==来歴・人物== 西都市三宅に、教育者の長男として生まれる。法政大学法学部入学後、1939年のノモンハン事件に出兵、九死に一生を得て帰国する。帰国後、東宝に入社、日劇の企画に配属。翌年上演される紀元2,600年奉祝、第81回日劇ステージショー、「民族舞踊・日向」の、プロデューサーを任され、1940年11月、1カ月にわたるロングランで、17万人もの観客を集める大成功をもたらす。しかし喜びもつかの間、1943年に報道班員としてマニラに渡り、終戦を前にした1945年7月20日、31歳の若さで戦火の中に姿を消す。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「児玉英水」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|