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入来院明雅 : ウィキペディア日本語版
入来院明雅[いりきいん あきまさ]

入来院 明雅(いりきいん あきまさ)は、江戸時代中期の薩摩藩士。薩摩入来領主、入来院氏22代当主。
== 生涯 ==
寛文12年(1672年)2月28日、藩主・島津光久の十七男として生まれる。延宝6年(1678年)光久の加冠、島津久祐の理髪で元服し、虎助久重と名乗る。
元禄3年(1690年)、光久の参勤に随行して江戸に下る。翌元禄4年(1691年)、光久に随行して鹿児島に帰国する。
元禄12年(1699年)、藩主・島津綱貴の命で、甥に当たる入来院規重の家督を相続し、主馬重矩と名乗る。翌年、二番組頭及び御番頭となる。元禄14年(1701年)、大隅国蒲生地頭職となる。元禄15年(1702年)、綱貴より唐草十文字の家紋を賜り、入来院家の定紋とする。同年、川上久尚の娘を正室に迎える。
元禄17年(1704年)、綱貴の参勤に先遣して、横目頭、御番頭として江戸に下る。宝永元年(1704年)、藩主・島津吉貴の家督相続の御礼言上のための登城に随行し、将軍徳川綱吉に拝謁する。宝永2年(1705年)、吉貴の帰国に随行する。同年、大隈帆佐田地頭職。横目役を辞することを許され、二番組頭となる。
宝永5年(1708年)、吉貴の参勤に先立って、御番頭として先発の人数を率いて江戸に下る。翌年、吉貴の帰国に随行する。眼病を患い療養を許される。宝永7年(1710年)、病が癒え三番組頭となる。
正徳3年(1714年)、領内巡検を行った吉貴を入来に迎える。享保7年(1722年)、藩主・島津継豊の初入部を出迎える。享保10年(1725年)、将軍世子家重の諱を憚り、明雅と改名する。享保16年(1731年)、六番組頭帆佐田地頭職。
享保20年(1735年)3月25日没。享年64。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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