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入来院重時 : ウィキペディア日本語版
入来院重時[いりきいん しげとき]

入来院 重時(いりきいん しげとき)は、安土桃山時代武将島津氏の家臣。入来院氏15代当主。
== 生涯 ==
島津以久の次男。子のなかった入来院重豊の養嗣子として入り、入来院氏の15代当主となる。豊臣秀吉九州平定では島津歳久・新納忠元らと共に奮戦した。
文禄の役では日本に残ったが、慶長の役では島津義弘に従い渡海した。慶長4年(1599年)の庄内の乱では島津宗家方に属したものの、伊集院忠真方に重時の家臣が参加していた事から、徳川家康に釈明するため上京した島津忠恒に同行している。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで島津義弘の隊に従軍していたが、撤退戦で本隊とはぐれてしまい、近江国で東軍の兵に発見され、主従7名と共に討ち取られた〔京に潜伏中に発見され討ち死にしたともいわれる。〕。
重時には女子しか子がいなかったため、入来院氏には島津義虎の五男が婿養子入りし、入来院重高と名乗って家督を継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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