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入江 義夫(いりえ よしお、1928年1月19日 - 2013年〔『別冊映画秘宝 初代ゴジラ研究読本』洋泉社(洋泉社MOOK)、2014年、「スタッフインタビュー 入江義夫」178頁冒頭。〕)は日本の特撮映画専門の美術デザイナー、造形家。東京都出身。 == 経歴 == 都立の工芸学校を卒業後、日本大学芸術学部映画科に入学。 1952年(昭和27年)、日大を卒業後、アルバイトとして新東宝の撮影所に美術助手として参加。 1953年(昭和28年)、『戦艦大和』、『潜水艦ろ号 未だ浮上せず』で特撮美術を担当。 同年夏、砧の東宝撮影所と特殊美術スタッフとして契約。 1954年(昭和29年)、渡辺明美術監督の下、日本初の特撮怪獣映画『ゴジラ』に井上泰幸とともに「美術助手」として参加、ミニチュアの図面引き及び、その制作を行った。 『ゴジラ』のあと、東宝では「特殊美術課」を撮影所内に設置。入江はここで円谷英二特技監督の下、『空の大怪獣ラドン』(1956年)や『地球防衛軍』(1957年)といった特撮映画のミニチュア、小道具の図面作成を担当した。 1966年(昭和41年)、この夏の『ゼロ・ファイター 大空戦』を最後に、ピープロダクション制作のテレビ映画『マグマ大使』(フジテレビ)の制作に参加するため東宝を退社。東急エージェンシーと契約し、同じく東宝特美課を退社した開米栄三や照井栄、比留間伸志とともに『マグマ大使』に参加し、「特殊美術監督」として特撮美術全般を担当した〔。 『マグマ大使』では、途中で主要美術スタッフの大橋史典が同じく東急エージェンシーのテレビ映画『怪獣王子』(フジテレビ)の現場へ移ったため、第2話の怪獣「モグネス」から、入江が怪獣デザインを手がけた〔。怪獣の造形は開米や照井と撮影所である「栄スタジオ」の脇に建てられた造型小屋で行った。 『マグマ大使』のあと、『怪獣王子』に続く特撮作品の準備を進めていたが、東急エージェンシーが特撮から撤退したため中止となった。その後、東宝プロデューサーの田中友幸から大阪万国博覧会の三菱未来館用の展示用模型製作を依頼され、『マグマ大使』で集めたスタッフ30人ほどで「入江プロダクション」を設立〔。以後コマーシャルフィルムや、各種展示用のジオラマ模型制作を行う〔。 1969年(昭和44年)、宣弘社で『光速エスパー』のパイロットフィルムのミニチュアを制作。ほかにも何本かテレビ番組のパイロットフィルムに参加したという。同年、大阪万国博覧会の三菱未来館用の展示用模型を制作。 1972年(昭和47年)、手塚治虫から直々に依頼を受け、カラー実写テレビ版『鉄腕アトム』を検討。アトムのコスチューム(女子が演じた)を制作する。手塚と2人で極秘裏に進めたこの企画だが、虫プロダクションが倒産したためお流れとなった。 以後は各県の「県民の森」等の森林学習展示館のジオラマなど、模型制作を主体に業務を行う〔。 2013年(平成27年)、死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「入江義夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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