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入鹿山且朗 : ウィキペディア日本語版
入鹿山且朗[いるかやま かつろう]
入鹿山 且朗(いるかやま かつろう、1906年(明治39年) - 1977年(昭和52年)9月27日)は、日本の医学者公衆衛生疫学食品衛生の研究者。熊本大学教授
== 経歴 ==

* 1906年、鹿児島県日置郡吉利村に生まれる〔『ブライアン山下物語: 日吉、小さな村の多彩な人物たち』 日吉人物伝刊行会 編集、南方新社〕。
* 1932年、京都帝国大学医学部を卒業し、1938年の厚生省発足と同時に入局。太平洋戦争中は、陸軍軍政部付医官としてシンガポールに赴任。復員後、名古屋市立大学医学部教授を経て、1952年、熊本大学医学部教授となる。
* 1956年、同大医学部水俣病医学研究班に加わり、喜田村正次と疫学調査を担当。
* 1960年10月、新日窒水俣工場アセトアルデヒド酢酸設備内の水銀スラッジを採取し、1962年8月、アセトアルデヒド酢酸工場の水銀滓と水俣湾のアサリから塩化メチル水銀を抽出と論文で発表。1963年2月16日、熊大研究班の報告会で「新日窒水俣工場アセトアルデヒド酢酸設備内の水銀スラッジから有機水銀塩を検出した」と発表した〔熊本大学「新聞見出しによる水俣病関係年表」から1963年2月17日及び22日付熊本日日新聞参照

〔リンク先:「水俣病:民主主義と正義への困難な道のり」P8下段参照)。〕。
* 1964年1月、白木博次東京大学医学部教授が、入鹿山らの研究結果を論拠に、水俣病の原因がメチル水銀であることを確定する論文を発表、これが1968年9月の厚生省による水俣病とメチル水銀化合物との因果関係の公式認定に繋がることとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「入鹿山且朗」の詳細全文を読む



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