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全国勝手連連合会 : ウィキペディア日本語版
全国勝手連連合会[ぜんこくかってれんれんごうかい]

全国勝手連連合会とは、日本の市民団体政治団体
== 歴史 ==
1971年頃に光永勇が出身地である沖縄県宮古島にて、私塾「宮古大学」を立ち上げたのが、全国勝手連連合会の原点である。宮古大学は後の勝手連大学の母体ともなった。
宮古大学設立後に、沖縄で自然保護運動や無農薬米、有機栽培の販売、生協活動などを行っていた光永勇の所に、環境問題などを中心にして市民運動にも取り組んでいた北海道の活動家たちが何度も訪れ、政治の問題等を議論する中から、「勝手」というキーワードが着目された。
市民が主体となった政治活動という発想から生まれたのが「勝手」だった。琉球語で自分勝手を意味する「ドゥ・カッティ」や「ワン・カッティ(わたしの勝手)」、「ヤーカッティ(あんたの勝手)」「ワンカラ(わたしから)」という言葉も候補にあがったが、結局、勝手に連なるという意味を持つ「勝手連」という名前が仲間内で決定された。
その後、1990年の選挙で沖縄県知事・大田昌秀を支援する運動が起こると各種相談が光永勇の元によせられるようになり、光永は勝手連の情報センターとして全国勝手連連合会を立ち上げた。光永勇は、勝手連運動の誕生から現在に至るまで勝手連運動を続けている唯一の人物であり、元祖勝手連と言われた。
なお、1983年の北海道知事選挙に際して、候補となった横路孝弘を支援する団体が「横路孝弘と勝手に連帯する若者連合」を名乗ったことに由来する勝手連の動きとは上記のように直接の連動性はない。
現在は選挙運動・国際交流・エコビジネスを中心とした活動を行っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「全国勝手連連合会」の詳細全文を読む



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