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全日本F2選手権 : ウィキペディア日本語版
全日本F2選手権[ぜんにほんえふつーせんしゅけん]
全日本F2選手権(ぜんにほんエフツーせんしゅけん、''All Japan F2 Championship'')は、1978年(昭和53年)から1986年(昭和61年)まで日本で開催されていた自動車レースの1カテゴリーF2規定のフォーミュラカー(オープンホイール)を使用した四輪レースで、国内トップカテゴリーの1つであった。
== 概要 ==
1973年から開催されていた国内トップフォーミュラ・全日本F2000選手権は、ヨーロッパのF2にならったカテゴリーであったが、量産型以外をベースとしたエンジンの使用を認めていた点で異なっていたことから“F2”ではなく“F2000”としていた。
しかし1976年に量産型以外のエンジンをベースとしてもよいとF2規定が改訂され、F2000規定と同一となった。このことからF2000を名乗る意味がなくなり、1978年から全日本F2選手権と呼称を変更して開催された。
1984年には同選手権を舞台とした映画『F2グランプリ』(東宝、原作:海老沢泰久)も公開された。
国内トップカテゴリーレースの1つとして人気を博し、1986年までの9年間に亘って開催されたが、ヨーロッパでは1984年を最後にF2規定によるレースが終了しF3000に移行。日本もそれに倣い、1988年よりF3000規定による全日本F3000選手権に移行することとなった。
最後のシーズとなった1987年は、条件付でF3000車両の出走を認めたことでF2車両のエントリーが無くなり、選手権不成立に終わった。(詳細は全日本F3000選手権#概要を参照)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「全日本F2選手権」の詳細全文を読む



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