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兪飛鵬[ゆ ひほう]
兪 飛鵬(ゆ ひほう)は中華民国(台湾)の軍人・政治家。兵站など軍後方勤務の専門家で、後に国民政府においても交通部部長など要職を務めた人物である。字は樵峰。 == 事跡 ==
=== 民国初期の活動 === 1908年(光緒34年)に寧波師範学校を卒業し、辛亥革命が勃発すると上海学生軍の一員として革命派に加わった。このとき、蒋介石の下で軍需官を務めている。1912年(民国元年)、陳其美の推薦で北京軍需学校第1期に入学し、2年後に卒業した。以後、国立北京師範学校、国立北京高等両等師範学校などで学監や体育教員を務めている。1915年(民国4年)、寧波第四中学と紹興第五中学で舎監となっている。 孫文(孫中山)が護法運動を開始すると、兪飛鵬もこれに合流した。1922年(民国11年)、福建省で松渓県と浦城県の県長を歴任する。1924年(民国13年)6月、粤軍総司令部審計処処長代理となり、さらに黄埔軍官学校軍需部副主任も兼ねた。翌年2月、同校運輸総站官に任ぜられ、1926年(民国15年)2月には中央軍事政治学校経理部主任となっている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「兪飛鵬」の詳細全文を読む
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