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八八式七糎野戦高射砲(はちはちしきななせんちやせんこうしゃほう)は、1920年代中後期に開発・採用された大日本帝国陸軍の野戦高射砲。俗称は八八式七糎半野戦高射砲(はちはちしきななせんちはんやせんこうしゃほう)。 第二次世界大戦においては九九式八糎高射砲とともに帝国陸軍の主力高射砲として使用された。 == 開発 == 性能不十分な十一年式七糎半野戦高射砲の後継として、1925年(大正14年)8月18日付の「甲第218号」により研究方針追加を上申、同時に試製砲が大阪砲兵工廠に発注された。翌1926年(大正15年)2月15日付の「陸普第644号」をもって正式に開発が認可され、同年4月には試製砲が完成した。1927年(昭和2年)には陸軍野戦砲兵学校に委託して実用試験に入り、1928年(昭和3年)に仮制式制定を経て八八式七糎野戦高射砲として八八式高射照準具とともに制式制定された。十一年式の更新が焦眉の急であったため、開発スケジュールは他の兵器と比べてもかなり急がれている。 なお、同口径(75mm)である先代の十一年式七糎半野戦高射砲と、後続の四式七糎半高射砲がそれぞれ制式名称に「''半''(七糎半)」を含むのに対して、本砲の制式名称はあくまで八八式七糎野戦高射砲であり、「半(七糎)」の文字はない。 基本的な構造は十一年式七糎半野戦高射砲をほぼ踏襲しているが、初速を初め性能は大幅に向上し、世界的にも見ても当時標準的な性能を持つ75mm級高射砲となっている。ただ、機動力を重視する帝国陸軍の火砲には通例のことでもあるが、運行重量を減らすために大幅に軽量化されたため全体的に作りが華奢であり、耐久性には劣る砲となってしまっていた。これは本砲が陣地高射砲ではなく、特に機動力が求められる野戦高射砲であることも一因である。そのため本砲は極めて軽量であり、迅速な移動と放列展開が可能といった運用面において優れた長所を持つ。牽引は九六式高射砲牽引車・九四式六輪自動貨車などの牽引車・4t自動貨車によって行い、牽引速度は常用12~14km/h、最大18km/hである そのため1934年(昭和9年)2月には、野戦移動用機材を廃し俯角射撃(-7°)の装置と平射距離板を有し、ベトン砲床に据付され陣地高射砲として運用可能な八八式七糎野戦高射砲マル特(マル特の制式表記は◯の内に特):八八式七糎陣地高射砲〔『八八式七糎野戦高射砲(特)仮制式制定ノ件』「陸技本甲第95号 八八式七糎陣地高射砲仮制式制定セラレ度件上申」〕)が制定された〔陸軍技術本部長緒方勝一『八八式七糎野戦高射砲(特)仮制式制定ノ件』、アジア歴史資料センター、Ref.C01004887400〕。このマル特であれば耐久性の求められる平射や俯角射撃は可能となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八八式7.5cm野戦高射砲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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