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八十里越 : ウィキペディア日本語版
八十里越[はちじゅうりごえ]
八十里越(はちじゅうりごえ)は、新潟県三条市から同県魚沼市を経由して、福島県南会津郡只見町に至る街道およびである。
== 概要 ==
三条市下田地区(旧南蒲原郡下田村)から魚沼市入広瀬地区(旧北魚沼郡入広瀬村)の北端部を経由して只見町に至る街道で、北側の中ノ又山(標高1070m)と南側の浅草岳(標高1585m)との中間の鞍部に鞍掛峠(くらかけとうげ、標高965m)、木の根峠(きのねとうげ、標高845m)の2箇所の峠がある。
八十里越の名の由来は、実際の距離は八里(約31km)でありながら、険しさゆえに一里が十里にも感じられるほど余りに急峻かつ長大な山道であることなど、諸説ある。
明治時代後期までは、新潟県中越地方北部と福島県会津地方南部とを結ぶ重要な街道で、新潟から南会津へは塩、魚類や鉄製品などの生活物資が、南会津から新潟へは繊維の原料や林産物などが運ばれるなどしていた。
だが沿道は急峻な地形豪雪地帯でもあり、1914年(大正3年)に岩越線(現在の磐越西線)が全通すると、人々の移動や物資の輸送は鉄道へ移行し、鉄道網や道路網がその後全国各地で整備される一方で、八十里越は衰退の一途をたどった。共に新潟県中越地方と只見町との間を結ぶ街道の一つで、約15km南西側に所在する魚沼市と同町の間の六十里越では、1970年代前半に国道252号東日本旅客鉄道(JR東日本)の只見線〔県境区間が開業した当時の只見線は日本国有鉄道(国鉄)の路線であった。〕が、それぞれ県境区間の開通および開業によって通行が容易となったが〔ただし六十里越の県境区間は雪崩や落石の危険性があるため、国道252号は11月中旬から5月中旬にかけて冬季閉鎖の措置が取られており、通年では通行できない。一方の只見線は通年運行しているものの、こちらも大雪などの際には県境区間で運転見合わせの措置が取られる。〕、それとは対照的に八十里越の整備は今日に至るまで遅々として進まず、2015年(平成27年)の時点でも国道289号などの国県道はいずれも両県境を挟んで約20kmにわたり、自動車の通行不能区間が残存している。
新潟・福島両県と国土交通省では、国道289号の通行不能区間を解消するため「八十里越道路」の改築事業を実施している(詳細は後述)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「八十里越」の詳細全文を読む



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