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八巻芳夫(やまき よしお、1900年 - 1990年)は、日本の土木技術者、都市計画家。仙台市の戦災復興都市計画に従事・尽力。青葉通り、定禅寺通りのケヤキ並木道の設計者〔国土交通省) ">規範事例集・街路編(国土交通省) 〕。丸森町出身。 東北帝国大学附属工学専門部/旧制仙台高等工業学校土木工学科卒業後、朝鮮総督府に勤務。総督府で地方出先の土木課長などを歴任。朝鮮時代に乱伐された山林をみて緑のない地方道は次々に並木を整備していったという。 1946年に帰国し、仙台市に勤務。仙台市戦災復興局建設部公営課長から後に建設局復興部長、建設局長〔第029回国会・建設委員会・第1号議事録 (1958年7月当時)〕を歴任。1959年からは仙台市技監。1966年に退職。その後土地区画整理審議会全国連合会などに関わる。 ==おもな著作== *『杜の都仙台市の街路樹』私家版(編著、昭和51年、宝文堂出版) *「区画処理施行中の火災跡地処理の一事例について」(『新都市』1955年9月号 都市計画協会) *「勾当台公園のヒマラヤスギについて」 昭和23年 *「仙台市復興事業の概要」(『新都市』 16(10), 1962年10月号) *「仙台都市復興土地区画整理」(『戦災復興余話』より) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八巻芳夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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