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八幡山 秀綱(はちまんやま ひでつな、生年不詳 - 慶長6年(1601年)11月29日)は、安土桃山時代から江戸時代の武将。六角義秀の子、六角義郷の弟。母は織田信広の娘千代君。六角左京大夫。 ==概略== 織田秀信の養子となり、三郎と称した(豊臣秀次の養子とする記録もある)。文禄の役のころには兄義郷の養子として六角家の相続人となり、義郷とともに「名護屋御留守在陣衆」として肥前名護屋城に在番した。慶長6年(1601年)兄に先立って没した。法名は泰雲院殿前左京兆。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八幡山秀綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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