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八戸信用金庫(はちのへしんようきんこ)は、2009年11月まで存在し、青森県八戸市に本店を置いていた、当時県内かつ東北地方最大手の信用金庫。略称は「はちしん」。青い森信用金庫の前身金庫の一つである。 このうち、旧:十和田信用金庫からの流れで上北郡おいらせ町と同郡六戸町の指定金融機関で、その他の市町は収納代理金融機関となっている。 == 概要 == 1922年12月に「八戸鍛冶町信用組合」として設立され、以後、八戸信用組合を経て、1951年10月に現在の名称となり、以来、八戸地域などにおいて水産事業を中心に支えられてきた。また、合併前の十和田信用金庫は1948年6月に「三本木町信用組合」として設立され、その後に三本木信用組合・三本木信用金庫を経て、1963年7月に十和田信用金庫となり、以来、上十三地域において農業や建設業並びに観光の各事業を中心に支えられてきた。両金庫とも設立から合併をせず、それぞれ単独かつ健全で、手堅い経営を維持してきた〔 〕 。 ところが、不良債権処理問題が終息して以降都市銀行や地方銀行が新たな顧客の獲得攻勢に転じているほか、さらに2007年10月の郵政民営化によって発足された国内最大の金融機関「ゆうちょ銀行」の誕生によって危機感が高まってきたことから、両金庫とも信金業界としての生き残りを懸け、2006年末から合併による交渉を行い、2007年6月8日に、2008年5月を目処に対等な立場で合併をすることで合意したと発表し、その後2008年5月19日に合併を迎えた。 八戸信用金庫を存続金庫とし、名称を存続金庫名をそのまま継承することとした(合併の際に新金庫名について協議し、候補を選定されてきたが、合併にふさわしい名称が採用されず、存続金庫名の名称を引き継ぐこととなった)。さらに、預金残高が杜の都信用金庫(宮城県仙台市青葉区)を抜いて東北最大となったほか、貸付残高も東北の信金の中で2位に浮上することとなる。 当初、合併後は両信金とも店舗網の再編を行わないと発表されたが、2008年2月19日の十信側からのニュースリリースにおいて、十信稲生支店を統廃合の対象とすることが公表され、合併日当日をもって八信十和田営業部(旧:十信本店)に統合されることが決定した(これは十信側が合併以前から検討されたものであり、合併による統廃合であることではない)。これによって、八戸信金:23ヶ店(ローンプラザ1ヶ店を除く)・十和田信金:13ヶ店(1有人出張所を含む)の、合計36ヶ店体制となったが、十和田信金で行われてきた窓口営業時間延長については合併後は実施されないこととし、八戸信金の既存店舗と同様に平日9時から15時の取扱に統一された。 合併日当日、2009年度内を目処に、合併後としては初となる店舗網の統廃合を八戸市内の2店舗において行うことを打ち出した。その後2008年6月13日に行われた当金庫の総代会において、2009年3月頃を目処に小中野支店を湊支店に統合を行うと同時に、老朽化している湊支店の店舗を同支店敷地内において改築することを明らかにし、2009年3月9日付で統廃合が行われた。その他、八戸市内店舗の統廃合がもう1店も計画されているが、旧:十和田信金店舗を含めて今後検討される見込みとなっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八戸信用金庫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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