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八月革命説[はちがつかくめいせつ] 八月革命説(はちがつかくめいせつ)とは、1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言受諾により、主権の所在が天皇から国民に移行し、日本国憲法は新たに主権者となった国民が制定したと考える学説のこと。主権の所在の移行を、法的な意味での革命、革命という法的な擬制(フィクション)を用いて説くことからこう称される。憲法学者の宮沢俊義により提唱された。 ==概要== 八月革命説は、大日本帝国憲法の改正手続を経て成立した日本国憲法〔学説発表当初は日本国憲法成立前なので、「成立することが見込まれる新憲法」となる。〕について、憲法改正限界説に立った場合の憲法制定過程を説明するための理論である。1946年(昭和21年)5月、宮沢俊義が「八月革命と国民主権主義」(『世界文化』第1巻第4号、1946年5月)として発表した〔原題は「八月革命の憲法史的意味」。のち修正のうえ、「日本国憲法誕生の法理」と改題され、『日本国憲法』法律学体系コメンタール篇(日本評論新社、1955年)別冊附録および『憲法の原理』(岩波書店、1967年)に収録された。〕。これは、同年3月6日に幣原内閣が「憲法改正草案要綱」を発表して憲法改正が公然と始動し、さらに同年4月17日には「憲法改正草案」を発表して天皇が枢密院に諮詢し、憲法改正の内容がほぼ固まったことを受けた論考である。 その内容はおおむね次のとおりである。そもそも、憲法改正限界説を前提とする場合、天皇主権を基本とする大日本帝国憲法から国民主権を基本とする日本国憲法への改正は、憲法改正の限界を超える。しかし、天皇主権と相容れない「1945年(昭和20年)8月のポツダム宣言」受諾は天皇による国民への主権の移譲の同意・承認であり、この時点で国民主権と矛盾する限りで大日本帝国憲法は効力を失うという法的意味の「革命」があったといえる。したがって、日本国憲法は新たに主権者となった国民が制定した憲法であり、旧憲法による改正手続は形式的な意味しか持たない。高見勝利によれば八月革命説は憲法改正限界論、法的意味の革命の概念、国際法優位説という戦前から説かれていた理論をポツダム宣言に適用してみせたもの〔このうち国際法優位の一元論の戦前からの連続性については菅野喜八郎が批判している。また憲法改正限界説の継続性については森田寛ニが批判をしている。「八月革命説再考のための覚書」頴原善徳(立命館大学人文科学研究所紀要97号)P.38,脚注4〕〔「(ポツダム)宣言がかかる(国民主権)の要求を含むものであったとしても、同宣言の受諾は国際法上の義務を負ったことを意味するにとどまり、受諾と同時に国内法上も根本的変革を生じたとみることは困難である(八月革命説は、「国体」の変革の義務がいわば債権的にではなく、いわば物権的に日本国家に生じたものとみるもので、それは徹底した国際法優位の一元論を前提とせずには成立しえない)」。佐藤幸治「憲法」(青林書院1995)P.76。〕となる。
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