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八木 亮祐(やぎ りょうすけ、1990年9月29日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(投手)。 == 経歴 == === プロ入り前 === 小学校4年の時に友達から誘われて地元の少年軟式野球チーム「津島北クラブ」で投手として野球を始める〔東京ヤクルトスワローズ公式サイト選手プロフィール 2009年5月6日閲覧。〕。小学校3年まではサッカー選手を目指していた〔東京ヤクルトスワローズ公式サイトルーキーの素顔★赤川投手、八木投手編 2009年5月6日閲覧。〕。投手を始めたのは小5の時だが、基本的には1塁手だった。 「愛知西リトルシニア」に所属し、ジャイアンツカップで優秀選手に選ばれた。その際に八木の噂を聞きつけた享栄高等学校の野球部監督の目に留まり、同校の野球部に進学する事となった。この監督は当時の八木の印象を「天性の肩の柔らかさ、肘のしなりは中学生離れしていて、将来はプロを狙える素材だと思いました。」と語っている。 享栄高等学校時代は、3年時6月の練習試合で岐阜城北高校の伊藤準規(現・中日)と投げ合って17奪三振を奪ったことで注目を集めた〔デイリースポーツonline真弓阪神 将来性抜群の享栄・八木獲得へ 2009年5月6日閲覧。〕。夏の西愛知大会2回戦の春日井西高校戦では5回参考記録ながら無安打無失点を達成し〔スポニチウェブサイト“工藤2世”に9球団集結!5回ノーヒッター 2009年5月6日閲覧。〕、同3回戦の小牧南高校戦では16奪三振を記録した〔デイリースポーツonline超新星だ!享栄・八木16K無四球完封 2009年5月6日閲覧。〕。 準々決勝で中京大中京に敗れ甲子園出場はならなかったが、最速141km/hの直球を武器に「東海のドクターK」〔、「工藤二世」〔と評される活躍を見せ、阪神〔、広島〔、中日〔日刊スポーツウェブサイト享栄・八木連続無失点継続中/西愛知大会 2009年5月6日閲覧。〕などが評価していた。2008年度ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズに2巡目で指名され、契約金6000万円、年俸600万円(金額は推定〔『日刊スポーツ』2008年11月23日付け紙面による。〕)で入団した。享栄高校からの東京ヤクルト及びその前身球団への入団は、金田正一(中退)以来となり、背番号も金田にあやかった34とされた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八木亮祐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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