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八木氏[やぎ-し]
八木氏(やぎ-し / やぎ-の-うじ)は古代日本の神別氏族。姓(かばね)は八木造(やぎのみやつこ)で造(みやつこ)姓。「やぎ」は陽疑、陽枳、矢木にも作る〔『続日本紀』宝亀6年(775年)正月辛酉(27日)条に「陽疑造豊成女」、宝亀元年12月19日(771年)付「奉写一切経料墨紙筆用帳」(『「大日本古文書』第6巻31頁)に「陽枳宮主」、宝亀2年(771年)3月29日付「奉写一切経所解」(同第18巻258頁)に「矢木宮主」とあり、いずれも一族と思われる(佐伯、『新撰姓氏録の研究』)。なお、後2者は同一人物で宝亀2年正月29日付「奉写一切経料墨紙筆用帳」(同第6巻32頁)等に「八木宮主」とあり、姓の記載はないものの恐らく造姓を有したであろうと推測される(佐伯、前掲書)。〕。
== 出自 == 『新撰姓氏録』によれば、和多罪豊玉彦命(わたつみとよたまひこのみこと)の児神、布留多摩乃命(ふるたまのみこと)の後裔とされる〔右京神別地祇部「八木造」条。〕。 「八木」の氏名(うじな)は河内国和泉郡(後に和泉国和泉郡)八木郷(現大阪府岸和田市八木地区)の地名に基づくとされるが〔佐伯、『新撰姓氏録の研究』。〕、現奈良県橿原市八木町に八木寺(廃寺)があり〔八木町2丁目に寺跡がある。〕、その創建は奈良時代に遡るものと見られるので、これを八木氏の氏寺と見て同地一帯に一族が蟠踞した可能性を説く説もある〔近江、「楊貴氏墓誌の研究」。〕。また、一族で東大寺の写経生であった八木宮主が氏神の祭りを理由に休暇を請うた記録が『正倉院文書』に残されており〔宝亀2年4月10日付「八木宮主解 申請暇日事」(『大日本古文書』第6巻169頁)。なお、八木宮主の名は前掲注のように、当時の文書に散見する。〕、この氏神を鴨大神(現高鴨神社)と見て、その鎮座地である大和国葛上郡(現奈良県御所市)及びその南隣の同国宇智郡(現同県五條市)に住した一族がいた可能性も指摘されている〔岸、「楊貴氏の墓誌」(『日本古代政治史研究』及び『五條市史』)。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八木氏」の詳細全文を読む
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