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九条良輔[くじょう よしすけ] 九条 良輔(くじょう よしすけ、文治元年9月20日(1185年10月15日) - 建保6年11月11日(1218年11月30日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。摂政関白・九条兼実の四男。官位は従一位・左大臣。八条と号す。 == 経歴 == 母が八条院暲子内親王に仕えていた縁により、幼くしてその猶子となる。建久5年(1194年)元服し正五位下に初叙される。侍従・右近衛少将・右近衛中将を経て、正治2年(1200年)従三位に叙せられ公卿に列す。建仁3年(1203年)権中納言、元久2年(1205年)正二位・権大納言と昇進する。既に早逝していた長兄の良通に続き、次兄の摂政・良経も元久3年(1206年)に薨じたため、庶子であったにもかかわらず九条家の中心的な存在となり、承元2年(1208年)内大臣、承元3年(1209年)右大臣、建暦元年(1211年)には左大臣に昇進し、嫡流とされた甥の道家を圧倒する。しかしながら、良輔自身も疱瘡のため34歳の若さで急死した。道家の実弟教家を養嗣子とした。
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