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八条隆祐 : ウィキペディア日本語版
八条隆祐[はちじょう たかよし]
八条 隆祐(はちじょう たかさち / たかよし、寛政7年1月7日1795年2月25日) - 明治5年5月24日1872年6月29日)〔『公家事典』608頁。〕)は、幕末から明治期の公卿孝明天皇諡号の勘申者〔『明治維新人名辞典』786頁。〕。
父は参議八条隆礼〔。妻は左近衛権中将西四辻公尹の長女〔『平成新修旧華族家系大成』下巻、363頁。〕・愛姫。子は八条隆声〔。
==経歴==
安政5年3月1858年)、日米修好通商条約締結の勅許案を巡り、中山忠能大炊御門家信広幡忠礼四辻公績正親町三条実愛正親町実徳三条西季知日野資宗庭田重胤中院通富橋本実麗野宮定功と共に、案文の変更を求めた〔東京大学史料編纂所ホームページ「維新史料綱要データベース」。〕〔『明治維新人名辞典』786頁では、安政勤王八十八廷臣の一人とされているが、東京大学史料編纂所ホームページ「維新史料綱要データベース」では該当しない。〕。
慶応4年4月21日1868年6月11日)権大納言に任ぜられ、翌日に辞退している〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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