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八柳極人[やつやなぎ きめと] 八柳 極人(やつやなぎ きめと、生年不詳 - 文化11年12月21日(1815年1月30日))は江戸時代後期の武士、政治家。新庄藩の藩士。中老格、執政。八柳騒動の張本人〔家臣人名事典編纂委員会編『三百藩家臣人名事典 (1)』 (新人物往来社、1988年) 407、408頁参照。〕。 == 家系 == 八柳氏は本姓を賀茂氏とし、後に平氏となる。家系は賀茂氏の流れを汲む家系であったが平姓三浦氏より養子を得たことでその三浦氏の末裔を称する。出羽国秋田地方土着の国人領主であり八柳館主の家柄であった。 安東氏の圧迫によりその被官となったが、後に一族の八柳右馬之助が仙北郡角館を統治していた戸沢氏に臣従し、その後の新庄藩転封にも随行し、以来、代々、700石取りの新庄藩士となった〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八柳極人」の詳細全文を読む
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