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八正道(はっしょうどう、, )は、釈迦が最初の説法において説いたとされる、涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳。「八聖道」〔仏陀耶舎、竺仏念 訳『長阿含経』(大正蔵1)・求那跋陀羅 訳『雑阿含経』(大正蔵99)〕(「八聖道分」〔法顕 訳『大般涅槃經』(大正蔵7)〕)、「八支正道」〔瞿曇僧伽提婆 訳『中阿含経』(大正蔵26)〕、もしくは「八聖道支」〔玄奘 訳『大般若波羅蜜多経』(大正蔵220)〕〔世親 造、玄奘 訳『阿毘達磨倶舎論』(大正蔵1558)〕とも。この 「道」が偏蛇を離れているので正道といい、聖者の「道」であるから「聖道」()と言う。 == 正見 == 正見(しょうけん, , )とは、仏道修行によって得られる仏の智慧であり、様々な正見があるが、根本となるのは四諦の真理などを正しく知ることである。 *業自性正見(ごうじしょう-)〔人間の本質について (性善説・性悪説とは)- バッダンタ ニャーヌッタラ長老 〕()〔The Manual of the Constituents of the Noble Path by Mahathera Ledi Sayadaw 〕 - 業を自己とする正見。 :生きとし生けるもの()は、 :: *業(だけ)を自己の所有とする() :: *業(だけ)を相続する() :: *業(だけ)を(輪廻的生存の)起原、原因とする() :: *業(だけ)を親族とする() :: *業(だけ)を依り所とする() *十事正見()〔 #布施の果報はある() #大規模な献供に果報はある() #小規模な献供に果報はある() #善悪の行為に果報がある() #(善悪の業の対象としての)母は存在する(母を敬う行為に良い結果があるなど)() #(善悪の業の対象としての)父は存在する(父を敬う行為に良い結果があるなど)() #化生によって生まれる衆生は存在する() #現世は存在する() #来世は存在する() #この世において、正しい道を歩み、自らの智慧によって今世と他世を悟り、(それを他者に)説く沙門、バラモン、正行者は存在する。() *四諦正見()〔 #苦諦についての智慧() #苦集諦についての智慧() #苦滅諦についての智慧() #苦滅道諦についての智慧() 「正しく眼の無常を観察すべし。かくの如く観ずるをば是を正見と名く。正しく観ずるが故に厭を生じ、厭を生ずるが故に喜を離れ、貪を離る。喜と貪とを離るるが故に、我は心が正しく解脱すと説くなり」といわれるように、われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である。このように現実を厭うことは、人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが、その世俗性の否定によって、結果として、真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである。正見は「四諦の智」といわれる。 この正見は、以下の七種の正道によって実現される。 八正道は全て正見に納まる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八正道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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