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八道勉[やじ つとむ]
八道 勉(やじ つとむ、1926年5月10日 - 2013年12月30日〔Larry Tsutomu Yaji ''Star Advertiser'' (31 January 2014)〕 )はアメリカ合衆国ハワイ準州(Territory of Hawaii)出身〔ベースボールマガジン、2011年9月号 P94〕の元プロ野球選手。日系二世〔豊田泰光のオレが許さん! 背番号を大事にしよう!〕。 ==来歴・人物== フェリントン高等学校の先輩である小島勝治と共に、1952年にハワイから、ハワイの野球チーム(ハワイレッドソックス)〔の選手として来日した。その後、西鉄ライオンズに入団。最初はビリー・ワイヤットの控えだったが、ワイヤットの故障(右手親指骨折)によりレギュラー獲得。5月15日の近鉄戦では、五井孝蔵投手から初回先頭打者本塁打を放った〔。俊足・巧打の選手で主に1番を打ち、夏場に調子を上げたが、間もなく自身も故障。ワイヤットに再びレギュラーの座を奪われ、1952年限りで退団した。 尚、自身が付けていた背番号7は、翌年から豊田泰光が付けた〔背番号7 - 背番号Maniax 〕。豊田は週刊ベースボール上の自身が連載している記事「豊田泰光のオレが許さん!」にて、「八道さんは、あの”ウォーリー”与那嶺要さんと同じ高校で1年先輩。与那嶺さんが前年途中に巨人で背番号7を付けて颯爽とデビューしたのを見て、背番号7を付けたかった。球団側も与那嶺と一緒の番号で、という意向だった」と記している〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八道勉」の詳細全文を読む
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