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八隅 孝平(やすみ こうへい、1978年11月27日 - )は、日本の男性総合格闘家。京都府京都市出身。ロータス世田谷主宰。ブラジリアン柔術黒帯。南京都高校、法政大学卒業。 青木真也、北岡悟らと親交が深く、セコンドにつくことも多い。 == 来歴 == 高校・大学とレスリング部に所属。高校時代にはインターハイにも出場した。アマチュア修斗で3戦を経験。 1999年1月27日、プロ修斗デビュー。 2000年1月23日、ADCC 2000日本予選の77kg未満級に出場。決勝で五味隆典に勝利し、優勝を果たした。3月の世界大会では1回戦でマイク・バーネットに敗北。 2002年7月17日、大道塾「THE WARS 6 〜新たなる胎動〜」の「日本対フランス・ゴールデントロフィー対抗戦(WARSルール)」に参戦。ディディエ・リュッツと70kg契約で対戦。0-0の判定ドローとなった〔THE WARS 試合結果 大道塾公式サイト〕〔[大道塾] 7.17 後楽園 (結果):グラントロフィーとの対抗戦は日本勢圧勝 BoutReview 2002年7月18日〕。 2005年6月26日、初参戦となったシュートボクシングで菱田剛気と対戦。1Rに右フックでダウンを奪い、さらにフロント・スープレックスでシュートポイントを奪うも、2Rに左目を負傷。2R終了時に左目眼窩底骨折の疑いによるドクターストップ・TKO負けとなった〔[SB] 6.26 後楽園:宍戸、大野に勝利。片腕の弾丸が完勝 BoutReview 2009年11月20日閲覧〕。 2006年3月21日、第3回全日本修斗グラップリング選手権大会・ミドル級に出場。決勝で中村圭太にチョークスリーパーで一本負けし、準優勝となった。 2006年9月8日、修斗で天突頑丈と対戦し、パウンドによるTKO負け〔[修斗] 9.8 後楽園:マモル、1Rで快勝。山下反則勝ち BoutReview 2006年9月11日〕。この試合を最後に総合格闘技から遠ざかる。 2007年12月2日、DEEP X 02のリアルキングトーナメント69kg以下級に出場し、優勝を果たした〔[DEEP X] 12.2 新宿:長谷川秀彦、柔術世界王者に完敗 BoutReview 2007年12月3日〕〔【DEEP X】69Kg以下で優勝の八隅孝平「70Kg前後で最強のグラップラーは俺ちゃうか」 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年12月2日〕。 2008年9月1日、東京都世田谷区粕谷(千歳烏山駅)に自らが代表を務める「ロータス パラエストラ 世田谷」が完成し、10月5日に道場開きを行った〔10.05道場開き Lotus blog 2008年10月6日〕。 2009年2月1日、ZST「SWAT!-GX4」で岡澤弘太と対戦予定であったが〔【SWAT】2・1岡澤弘太VS八隅孝平が決定!グラップリングルールでの大会開催 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年1月15日〕、右膝化膿性滑液包炎により欠場となった〔2/1「SWAT-GX4」八隅孝平(ロータス パラエストラ世田谷)選手欠場のお知らせ ZSTオフィシャルサイト 2009年1月29日〕〔【SWAT】2・1八隅孝平が欠場、全11カードのメインは太田裕之VS柳澤雅樹 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年1月30日〕。 2009年2月22日、ADCC 2009 アジア予選の66kg未満級に出場。準決勝では徹肌ィ郎に判定勝ち、決勝では戸井田克也に肩固めで一本勝ちを収め、優勝を果たした〔【ADCC】アジア代表決定!藤井惠が世界王者・塩田さやかを破る、中村和裕も優勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年2月22日〕。 2009年9月26日、ADCC 2009の66kg未満級1回戦でハニ・ヤヒーラと対戦し、肩固めで一本負け〔【ADCC】 日本惨敗!準決勝に勝ち残ったのは2名のみ!ADCC初日レポ 格闘王国 2009年9月27日〕〔更新再び… ADCC惨敗と「もっともっと…」 八隅孝平BLOG 2009年9月30日〕。 2010年1月10日、DEEP X リアルキングトーナメント 2010・ライト級(9名参加)に出場し、優勝を果たした。 2010年10月10日、DEEP X 06でクレベル・コイケと対戦し、9-1のポイント勝ちを収めた〔。 2011年1月16日、DEEP X リアルキングトーナメント・ライト級(8名参加)に出場。決勝で佐々木憂流迦に勝利し、2年連続の優勝を果たした〔【DEEP X】榎本悟が現役パンクラス王者・清水清隆に決勝で一本勝ち!八隅、ソウザ兄弟が優勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年1月16日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八隅孝平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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