|
大心 昇(だいしん のぼる、本名:長田 留雄(ながた とめお)→長田 留男(- とめお)、1937年8月2日 - 2012年3月20日)は、北海道山越郡長万部町出身で、宮城野部屋(入門時は高嶋部屋)に所属した大相撲力士。最高位は東前頭8枚目(1966年9月場所)。得意手は右四つ、寄り、蹴手繰りなど。現役時代の体格は178cm、115kg。 == 来歴 == 18歳の時上京し、高嶋部屋に入門。1956年9月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の横綱・大鵬(当初、納谷)や小結・沢光(同、沢向)などがいる。翌年1月場所にて、「長葉山」の四股名で序ノ口に付いた。同場所では5勝3敗と勝ち越し、上々の「大相撲デビュー」となったが、2勝目は納谷から挙げている(因みに納谷(大鵬)との対戦は、同場所以降、2度と叶わなかった)。 その後、元横綱・吉葉山が開いた「吉葉山道場」に移った(元吉葉山が年寄・宮城野を襲名した1960年以降は、「宮城野部屋」へと所属が変更している)。 1964年11月場所にて4年半に及ぶ長い幕下生活を経て、27歳で十両へと昇進。そして、1965年7月場所で新入幕を果たした。同場所では、2日間の途中休場がありながら、8勝を挙げて見事勝ち越している(その他、幕内では同年11月場所と翌年7月場所でも勝ち越したが、いずれも成績は8勝7敗である)。幕内在位は8場所に終わり、1967年11月場所以降は関取に復帰する事も叶わなかった。 現役晩年は幕下41枚目まで番付を落とし、1969年3月場所後、31歳で廃業(なお、廃業時の四股名は、本名でもある「長田」であった)。 廃業後は東京都足立区西新井で、相撲料理店「大心」を営んでいた。なお、次男の真一(しんいち、1971年4月19日生まれ)も明治大学卒業間際に角界入り(父と異なり、立浪部屋に入門)したが、こちらは関取になれなかった。 2012年3月20日、心不全のため東京都内の病院で逝去した〔元幕内大心、長田留男氏が死去 サンケイスポーツ 2012年3月21日閲覧〕。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大心昇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|