|
公孫 無知(こうそん むち)は、春秋時代・斉の第15代君主。 == 略歴 == 釐公の同母弟である夷仲年の子で、伯父の釐公の寵愛を受け、従兄の太子諸児と同じ待遇を受けた。釐公が亡くなり、従兄の諸児が襄公として、即位すると冷遇された。 前686年に大夫の連称・管至父らと謀って、襄公を殺害し、斉公に即位した。そのために、襄公の弟の公子糾は管仲と魯へ、公子小白(後の桓公)は鮑叔と莒へそれぞれ逃れた。 前685年、無知は虐待された臣下の雍廩によって、暗殺された〔『春秋左氏伝』荘公8、9年より。なお、これを引用する杜預は「雍廩は斉の大夫である」と述べている。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「公孫無知」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|