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公孫軌[こうそん き] 公孫 軌(こうそん き、391年 - 441年)は、北魏の軍人。字は元慶。本貫は燕郡広陽県。 == 経歴 == 公孫表の次男として生まれた。若くして文学の才能で名を知られ、明元帝のときに中書郎となった。征戦に従軍して、諸軍司馬に任じられた。 太武帝のとき、大鴻臚を兼任して、氐王楊玄を南秦王に封じる使者として立った。氐王の領内に入り、楊玄が迎えに来なかったことをとがめた。帰還すると、尚書に任じられ、燕郡公の爵位を受け、平南将軍の位を加えられた。 南朝宋の将の到彦之が部将の姚縦夫を済河に派遣して、冶坂を攻撃した。太武帝は宋軍のさらなる北進を阻止するため、公孫軌を壺関に駐屯させた。上党郡の丁零が反乱を起こしたため、公孫軌が反乱の鎮圧にあたった。後に虎牢鎮将として出向した。 441年、死去した。享年は51。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「公孫軌」の詳細全文を読む
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