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公正発展党(こうせいはってんとう、, , AKP)は、トルコの政党。中道右派を標榜し、経済政策では欧州連合 (EU) 加盟や自由市場を目標とする保守政党であるが、イスラム主義系政党福祉党、およびその後継政党である美徳党を前身としており、所属議員のイスラム主義色が強く、トルコ内外からイスラム主義政党であるとみられている。 == 沿革 == 公正発展党の前身は、1997年に非合法化されたイスラム主義系政党福祉党、およびその後継政党である美徳党である。 2001年6月22日の美徳党の解党を受け、前イスタンブル市長のレジェップ・タイイップ・エルドアン、アブドゥッラー・ギュル、ビュレント・アルンチュら美徳党の若手活動家らを中心に、公正発展党が旗揚げされた。なお、このとき元福祉党党首ネジメッティン・エルバカンの流れを汲む旧美徳党党首レジャイ・クタンらの古参幹部は至福党を起こし、旧美徳党系政党は分裂している。 公正発展党は、当初美徳党の流れを受け継いでイスラム化政策を強調していたが、2002年11月3日に行われた総選挙においては、イスラム色を抑えて中道右派を標榜した。 この選挙で、公正発展党は得票率34.26%を獲得して第1党となり、得票率10%に満たない政党には議席が配分されないトルコの選挙制度に基づいて550議席中363議席を獲得する地すべり的な勝利を収め、単独与党となった。このとき、エルドアン党首は被選挙権が剥奪されていたために議員になれず、首相には副党首のギュルが就任する。エルドアンが被選挙権を回復して補欠選挙に当選し、首相に就任するのは翌2003年の3月である。 公正発展党は、結党直後から、軍部や司法関係者からは、国是である世俗主義原則を脅かす存在として警戒心をもって見られてきた。2002年の総選挙では、投票直前の10月23日に、検事総長によって公正発展党解散に向けた提訴が行われたが、却下される事件も起きた。 2007年に、司法界出身で世俗主義擁護派で知られたセゼル大統領が任期満了を迎えるにあたり、後任の大統領候補として、副首相兼外相のギュルを擁立した。しかし、ギュルは、軍によって「宗教的反動勢力」として認定・弾圧された福祉党出身であり、また「イスラム復興」を標榜していたため、世俗主義擁護派の世論の猛反発を受けるなど、政教分離をめぐる論争では、世俗主義勢力と明白な緊張関係にあった。 ギュルの大統領選擁立問題をめぐっては、議会によるギュルの大統領選出が憲法裁判所に違憲と判断されたことで頓挫したことを受け、公正発展党政権は、国民の信を問うとして同年7月22日に総選挙を前倒しで実施した。5年間の同党政権下で行った経済発展の継続を訴えたこの選挙で、公正発展党は前回選挙の得票率を10ポイント以上上回る得票率46.7%を獲得、再び議会の過半数を制した。 2014年8月、党首であったエルドアンが直接選挙で大統領に選出されたため党を離れたことにともない、アフメト・ダウトオールが後任の党首に就任した。 2015年6月に行われた総選挙では、第1党を維持したものの大きく議席を減らし、過半数の維持に失敗した〔トルコ総選挙で与党が過半数割れ=クルド系が初議席 (ウォール・ストリート・ジャーナル 2015年6月8日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「公正発展党」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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