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公益財団法人全日本大学野球連盟 : ウィキペディア日本語版
全日本大学野球連盟[ぜんにほんだいがくやきゅうれんめい]

公益財団法人全日本大学野球連盟(ぜんにほんだいがくやきゅうれんめい、)は、日本における硬式大学野球の統轄組織で26の大学野球連盟が加盟している。日本高等学校野球連盟とともに上部組織として日本学生野球協会を構成している。主たる事務所は東京都渋谷区渋谷2丁目22番8号名取ビル9階(日本学生野球協会と同じ)。
== 略史 ==
第二次世界大戦終結後、学制改革によって誕生した新制大学の野球組織を統轄する目的で1947年全国新制大学野球連盟が結成された。これは戦前に存在した「日本高等学校野球連盟」「日本専門学校野球連盟」(以上2連盟は戦後に設立された現存する同名の野球連盟とは別なもの)「日本師範学校野球連盟」が発展的に解消、改編したものである。
一方、戦前から続く旧制大学はそれぞれの連盟で独自の運営を行っていたが、1947年に大学統一選手権を開催しようという気運が高まり、東京六大学野球連盟東都大学野球連盟関西六大学野球連盟 (旧連盟)の旧制大学3連盟は全国大学野球連盟を結成した。この組織は同年より3連盟の代表が対戦する大学野球王座決定戦を実施していた。
いずれの連盟も既に戦後結成の日本学生野球協会下の組織であったが、大学野球の全国的な統一組織を作ろうという動きに対して旧制大学3連盟側はこれを固辞していた。これについては、戦後につくられた多くの新制大学による他の連盟と一緒の扱いをされたくないという自負の念と、自分たちの意志の及ばない組織に独立性を脅かされたくないという伝統誇示の両面があったといわれている。
1952年1月、旧制大学3連盟側が「理解を示して協力する」という立場を取ることでようやく全国的な統一組織が結成されることになった。同年には全国大学野球連盟と全国新制大学野球連盟のそれぞれを発展的な解消をしその上で合併をする形で新しい全国大学野球連盟が発足した。合併に際しては、旧来の新制大学野球連盟側が全国を地域別に分けた地区運営を編成していたので、運営上そのままの形で移行させた方が新組織としての改編に混乱が少なかったので、旧来の新制大学野球連盟に所属していた地域は、それらを若干修正した形で地区連盟としての運営が採られた。一方、旧制大学以来の3連盟は元来独立性が高かったのと、全国組織の再編を根回しした段階で協力を請われた立場などが尊重され、全日本大学野球選手権大会では地区編成には組み込まれないそれぞれ単独の出場権を持つことになった。1952年8月に開催された第一回全日本大学野球選手権大会実施当時の組織は後述の通り。
なお、この第一回大会当時の旧制大学3連盟以外の各地区予選のほとんどが新制大学野球連盟時代の地区予選を踏襲した暫定的な運営の下で行なわれた。後に続く各地区連盟の統括組織としての運営強化は、その後に徐々に整備されていった(各地区の大学野球に対する温度差などの事情により進度はまちまちであった)。また、連盟発足当時は旧来の全国大学野球連盟の名称をそのまま継承したが、第二回選手権大会までの間に現在の全日本大学野球連盟に正式に改められた。
*東京六大学野球連盟
*東都大学野球連盟
*関西六大学野球連盟 (旧連盟)
*北海道・東北地区 (後に北部地区大学野球連盟
*関東地区 (後に東部地区大学野球連盟
 *東京都新制大学野球連盟
 *神奈川県下六大学野球連盟
  ※上記以外は地区に直接所属
*東海地区 (後に北陸を加えて中部地区大学野球連盟
 *愛知大学野球連盟
  ※愛知以外は地区に直接所属。
*近畿・中国・四国地区 (後に西部地区大学野球連盟
 *京都六大学野球連盟
 *近畿大学野球連盟
 *四国地区大学野球連盟
  ※上記以外は地区に直接所属
*九州地区
新制大学野球連盟から移行した連盟には、当初から旧制大学連盟の様に独自性を発揮した運営を行なっていた連盟がある一方、単に地域毎にまとめられただけという性質のグループも混在していた。例えば、全日本大学野球選手権大会出場に繋がる代表決定に関して、個々のリーグ戦での優勝校や上位チームが代表決定戦に出場するところもあれば、リーグ戦とは全く無関係に地区内の全参加による一斉トーナメントで代表決定戦を実施したり、個別のリーグ戦は行なわず代表決定戦への出場のみなどそのあり方は様々であった。また各地区連盟(北部、東部、中部、近畿、西部、九州など)は当初は殆どが専任の連盟事務所・事務局は持たず、その地域の有力校が持ち回りで代行したり、地区連盟内の有力校集団(固有のリーグ自体は構成・運営していても、そのリーグ単独では当時の全日本大学野球連盟からはまだ承認されていない組織)が担当するなどの状態であった〔例えば、九州地区大学野球連盟の事務局は長らく福岡六大学野球連盟の事務局当番校が代行(担当者が同一)していたし、北部地区大学野球連盟(後の東北地区大学野球連盟)は仙台六大学野球連盟が、東部地区大学野球連盟千葉県大学野球連盟が、中部地区大学野球連盟での初期の頃は愛知六大学野球連盟(現在の愛知大学野球連盟)が全日本への連絡事務局を代行していた(時期的な詳細は、個々の地区連盟で事情が異なるので各地区連盟の記事を参照)。〕。
しかしそのような地区所属校のなかにもしだいに野球部の活動に力を入れる有力校が現れ始め、時代の推移とともに参加校が増えるに従って旧制リーグの運営や人気にあやかろうと、地区連盟内に新たなリーグ(連盟)を結成したり、リーグ戦の存在価値を高めようとする動きが大きくなっていった。その為、全日本大学野球連盟としても徐々に選手権大会での出場枠を拡大する方向で地区連盟の再編や新連盟の承認(代表枠の独立)を図っていった。(全日本大学野球連盟としては、代表枠を与えていない連盟については基本的には未承認連盟として任意組織扱いであり、それは当時も現在も同じ。)
このように、当初は地域全体を統括する為に創設された地区連盟(北部・東部・中部・西部・九州)も徐々に新しい連盟が全日本の連盟に正式に承認されるに従って、現在では殆どの地区でその役割を終えて実質的には消滅に至っている。
但し九州地区のみは1952年の創設当初から続いたものが唯一そのまま現在に至っており、後に独立していった他2連盟(九州六大学野球連盟と福岡六大学野球連盟)と共に九州3連盟の一つとして並存している。
尚、大学野球の場合は高等学校とは異なり硬式野球のみを統括している。準硬式軟式などは全く別組織となっており、それらに関しては現状では日本学生野球協会の統括傘下には含まれていない。(この連盟以外での活動チームに関する事情や詳細などは大学野球の記述を参照の事。)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「全日本大学野球連盟」の詳細全文を読む



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