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六条摂政 : ウィキペディア日本語版
近衛基実[このえはじめみのる]

近衞 基実(このえ もとざね)は、平安時代末期の公卿正二位摂政 関白左大臣。通称は六条摂政(ろくじょう せっしょう)。関白・藤原忠通の四男。五摂家の一つとなった近衞家の祖。
== 生涯 ==
父・忠通にとって16年前に三男を早世させて以来の男子出生であったが、既に忠通は自身と20歳以上も年の離れた弟である頼長猶子としており、表向きは歓迎されない出生であった。だが翌年には母・信子の実家より高陽院に移され、久安元年(1145年)正月に事実上の後継者としての披露が行われた。
久安6年(1150年)、8歳で正五位下左近衛少将に叙任される。その後も父と後白河天皇の引き立てで権中納言権大納言を経て、保元2年(1157年)には正二位右大臣に叙任される。この間、保元の乱においては父とともに天皇に近侍して東三条殿行幸の際に剣璽を奉じている。保元3年(1158年)8月には16歳の若さで二条天皇関白にまで栄進し、藤氏長者となった。
平治2年(1160年)には左大臣に任ぜられ、長寛3年(1165年)には六条天皇摂政となる。しかし翌永万2年(1166年)7月26日、わずか24歳で病により薨去。死後、正一位太政大臣を追贈された。
容姿は色白、痩せていて、美男だったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「近衛基実」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Konoe Motozane 」があります。



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