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六角広胖[ろっかく ひろやす] 六角 広胖(ろっかく ひろやす、安永5年(1776年)6月14日 - 没年不詳)は、江戸時代の高家旗本。播磨龍野藩主脇坂安親の六男。初名は脇坂安徴。通称は虎次郎、一学、主殿。官位は従五位下侍従、主殿頭。 寛政4年(1792年)12月18日、高家旗本六角広孝の養子となる。養父広孝は嫡子広寿、嫡孫広教を相次いで亡くしていた。寛政8年(1796年)9月15日将軍徳川家斉に御目見する。同年11月2日高家見習に召し出されて、11月28日従五位下侍従・主殿頭に叙任する。文化7年(1810年)12月29日高家を解任されて、差控えを命じられる。深川法禅寺による四天王寺五重塔再建勧化の手続きに関する処理に問題のあったようである。文化8年2月2日、病気を理由に嫡子の地位を退く。なお、後に息子広体が六角家を相続した。 正妻は六角広孝の養女(実父六角広寿)。広体らの子女あり。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「六角広胖」の詳細全文を読む
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