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六角持綱 : ウィキペディア日本語版
六角持綱[ろっかく もちつな]

六角 持綱(ろっかく もちつな)は、室町時代武将守護大名近江守護。六角満綱の嫡男で時綱久頼の兄。子に持信
永享6年(1434年)に父が京極持高と共に室町幕府6代将軍足利義教延暦寺攻撃命令を受けると父と共に近江国内の延暦寺領を没収、永享12年(1440年)に義教の椀飯も務めた。翌嘉吉元年(1441年)に嘉吉の乱で義教が暗殺、続いて発生した嘉吉の徳政一揆で責任を取らされた父が近江守護を解任、代わって守護に任命された。
しかし、文安元年(1444年)に家臣団から無道を訴えられ、弟の時綱が一揆を結成した家臣団に擁立され、反乱を起こされる事態になった。結果、翌文安2年(1445年)に一揆に攻められ父と共に自刃した。
文安3年(1446年)に僧侶となっていた弟の久頼が還俗、幕府の命令を受けた京極持清と共に時綱一派を討ち取り久頼が当主となった。しかし、一連の騒乱で六角氏の権力は大幅に後退、反対に守護代伊庭氏の権勢が強まり京極氏の干渉も受けるようになり、以後の六角氏は領国支配に苦しむことになる。
== 参考文献 ==

* 今谷明藤枝文忠編『室町幕府守護職家事典(下)』新人物往来社、1988年。
* 佐々木哲『佐々木六角氏の系譜』思文閣出版、2006年。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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