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『共同テレニュース』(きょうどうテレニュース)は、共同テレビジョンニュース社(現在の共同テレビジョン)が制作した一連のテレビニュース番組である。 ==概要== 1958年7月28日に共同通信社を中心に、ニュース番組を制作ならびに配信することを目的として、共同テレビジョンニュース社が設立された。共同通信社は1956年に、朝日・毎日・読売の三大新聞社と同様に劇場用ニュース映画を制作しようと検討し準備を進めていたが、翌1957年にはテレビ時代を見据えた全国ネットのテレビニュース制作を目指すべく方針を転換した。発足当初は番組送出装置やマイクロウェーブ配信網を持たないため、これらをどこかの局に依存せざるを得ないが、ゆくゆくは自前の設備を備える計画であった(共同放送網構想)。 フジテレビ、東海テレビ、関西テレビ、日本教育テレビ(NETテレビ。現在のテレビ朝日)、中部日本新聞社が大口出資者となり、NHK、電通が協力。これに共同通信加盟の地方紙ならびに地方紙母体のテレビ局が共同出資した。 共同テレビジョンニュース社が制作するニュース番組は出資各社で放送される事となっていた。しかし東京地区では、フジテレビとNETテレビの2社で放送されることとなったため、競合2社が同一ニュース番組を放送するのはステーションとしての特色が出ないとの理由により、ほどなくNETテレビが脱退した(別途、親会社の東映が朝日新聞社と合弁して設立した朝日テレビニュース社(現在のテレビ朝日映像)からニュース番組を購入することになり、共同テレビジョンニュース社から資本と役員を引き上げた)。この結果、自前の送出装置とマイクロ網を持たない共同テレビジョンニュース社はフジテレビと結びつくこととなり、制作部門も新宿区の市谷河田町にあったフジテレビ内に置かれることになった。 同年11月1日、関西テレビが開局。社屋建設中で未開局のフジテレビをキー局として「KTVニュース」が送り出された。また、同日より中部日本放送(CBCテレビ)で放送されている「中日ニュース」を中日映画社に代わって制作することとなり、市谷河田町のフジテレビ社屋よりフイルムを港区元麻布にあったCBC東京支局に搬送し、同支局よりマイクロ網で送り出された。1959年3月1日、フジテレビが開局し、翌1960年には全国17局で共同テレニュースが放送された。 しかしながら、事実上フジテレビ系列のニュース番組を主体に制作することとなったため、1960年11月14日に共同通信社、静岡新聞社、西日本新聞社が資本を引き上げ撤退し、他の地方局や中日の資本を残しながらも正式にフジテレビ傘下となった。その後、1962年7月2日より夕方17時50分 - 18時に「ホームニュース」を制作し配信する。この「ホームニュース」は3社ニュースと併せて地方局にネットされていた。やがて、テレビネットワーク競争が過熱化し、そのテレビネットワークの中心がニュース番組となり、この結果地方局はキー局のネットワークニュースを放送すれば事足りる状態となり、フィルム配信で速報性に欠ける共同テレニュースを必要としなくなった。 一方、フジテレビ系列も1966年8月1日にフジニュースネットワーク(FNN)を結成したことで、結局共同テレニュースは「中日ニュース」「ホームニュース」を除いて、FNNニュースと統合されることとなった。(ただし、この2番組とFNNニュースはその後も事実上同内容であった。) 共同テレビジョンニュース社は、翌1967年9月に報道部門をフジテレビに移管してニュース制作から撤退し、以降はテレビ番組製作会社となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「共同テレニュース」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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