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共和制(きょうわせい、)は、人民または人民の大部分が統治上の最高決定権を持つ政体〔「法の精神」(シャルル・ド・モンテスキュー、1748年)Bk. II, ch. 1.〕〔republic - Encyclopedia Britannica 〕 。一般には、政府の大半の意思決定が元首の裁量によってではなく、成立した法を参照して行われる体制のこと。このため現在では君主制は共和制では無いとされる場合が多く、現代の一般的な定義では「共和制とは君主ではない元首を持っている政体」である〔はてなキーワード 〕〔republic - Dictionary.com 〕〔republic - Merriam-Webster 〕。 「共和制」(リパブリック)の語源はラテン語の「」で、「公共の事」との意味を持ち、更には「公共の政府を持つ国家」の意味で使用された。 日本では通常、「リパブリック」を制度の場合は「共和制」、特に政体の場合は「共和政」、国家の場合は「共和国」と訳している。また思想の場合は「共和主義」である。それぞれの対比語は、君主制、君主政、君主国、君主主義である。 ==語源== 英語で共和制や共和国を意味する「」の語源は「公共のもの」を意味するラテン語の「」である〔「国民百科事典2」平凡社 p409 1961年4月30日初版発行〕。制度を指す抽象名詞(共和制)と、そのような制度を持つ組織体(共和国)とを用語上、区別しない。これは、特定の個人や階級のためにではなく、全構成員の共通の利益のために存在するものとされる政治体制を指した。 漢語の「共和」は、大槻磐渓の示唆により箕作省吾がその著『坤輿図識』(1845年)で「」の訳語として初めて用いた〔穂積陳重『法窓夜話』、岩波文庫〕。 これは西周の「共和」と呼ばれる期間に由来する。これは暴政を行った厲王が国人(諸侯と都市住民)に追放された後の14年間で、『史記・周本紀』によれば、この期間は宰相の召公と周公が共同して(共に和して)統治に当たっていたとされた。この体制では世襲の王がおらず、有力者の合議による政治が行われていたと考えられていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「共和制」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Republic 」があります。 スポンサード リンク
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