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兵庫県南部地震(ひょうごけんなんぶじしん)は、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒(日本時間=UTC+9)に発生した地震である。兵庫県南部を中心に大きな被害と発生当時戦後最多となる死者を出し、この震災を阪神・淡路大震災と称する。 地震の震源は野島断層(六甲・淡路島断層帯の一部)付近で、地震により断層が大きく隆起して地表にも露出している。 大都市直下を震源とする日本で初めての大地震であり、気象庁震度階級に震度7が導入されて以来初めて(1996年9月30日まで運用されていた旧震度階級では最初で最後の)気象庁によって震度7が記録された地震である。 == 名称 == 気象庁は地震が発生したその日のうちに会見を行い、この地震を「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」(The Southern Hyogo prefecture earthquake in 1995)と命名した。 しかし、気象庁による正式名称に先立って毎日新聞が「阪神大震災」と呼び始め、他の報道機関の中にもこれに追随する動きが出始めた。その一方で、朝日新聞や日刊スポーツでは「関西大震災」〔1995年(平成7年)1月18日各紙朝刊〕〔『週刊朝日』1995年2月3日号、『アサヒグラフ』1995年2月1日号(2月10日号以後は「阪神大震災」の表記を使用)・『AERA』(1995年1月30日号、2月5日号緊急増刊、2月13日号、2月25日号臨時増刊、3月25日号臨時増刊など)・『諸君!』(1995年3月号、4月号)などでも「関西大震災」の表記がみられる。また、毎日新聞系のメディアでも『サンデー毎日』1995年2月5日号にて「関西大震災」の表記を使用したケースがあった。〕、読売テレビでは「関西大地震」など、当初は様々な名称が入り混じっていた。 2月14日に政府は、今回の災害の規模が大きい事に加えて今後の復旧に統一的な名称が必要であるという観点から、淡路島地区の被害も大きかったことも考慮し、「関東大震災」に準え、災害名を「阪神・淡路大震災」と呼称することが閣議で口頭了解された。2月24日には、5年間の時限立法として阪神・淡路大震災復興の基本方針及び組織に関する法律(1995年(平成7年)法律第12号)が制定、即日施行された。この時から広く「阪神・淡路大震災」と呼ばれるようになり、この名称が現在でも使用されている。 また、「南兵庫大震災」という表記を用いる書籍もある〔渡辺好庸(著)・西脇創一(写真)『検証 南兵庫大震災』論創社、1995年。ISBN 484600029X〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「兵庫県南部地震」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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